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	<title>Nchinan Chapel Weblog　日南チャペル</title>
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		<title>決して揺り動かされないものに</title>
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		<pubDate>Mon, 31 Oct 2011 11:26:57 +0000</pubDate>
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				<category><![CDATA[1.礼拝説教の要約]]></category>

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		<description><![CDATA[これらのことが起こり始めたなら、からだをまっすぐにし、頭を上にあげなさい。贖いが近づいたのです。（ルカ21:28） 2011年3月11日午後2時46分。未曾有の大地震が東北関東地方を襲いました。大津波は町々を飲み尽くし、犠牲者の数は今なお増え続けています。私たちはキリスト者として被災地におられる方々のために祈り、また具体的に自分のできることをしたいと心から願います。 また、キリスト者としてこのような状況に対する聖書的な見解をしっかりと持つことも大切です。 たとえば今回の大震災が「神の罰だ」と発言をする方々がおられます。日本では都知事が、韓国では有名な牧師がそのような発言をして問題になっているようです。海外のメディアではこれは神の仕業か否かという議論がされているところもありました。 しかし、そもそも、これが神の罰だとか、そうでないとか議論すること自体が聖書的ではないと思われます。イエス様は言われました。「そのガリラヤ人たちがそのような災難を受けたから、ほかのどのガリラヤ人よりも罪深い人たちだったとでも思うのですか。そうではない。わたしはあなたがたに言います。あなたがたも悔い改めないなら、みな同じように滅びます・・・」(ﾙｶ13:1-5)。災難にあった人々が特別に罪深いとかそうでないとか、神の罰か否かとか、それが問題ではありません。神の目から見れば、人間はみな同じように罪深い存在です。キリストの十字架の赦しをとおして創造主なる神との関係を回復しなければ、この天地が滅びる時に、滅びてしまうと聖書は教えるのです。 人間はみな死にます。自然災害で、病気で、事故で、あるいは寿命でと、どのような死を遂げるかは千差万別ですが、みな等しく死ぬのです。本当に解決されなければならない問題は災害、病気、事故、寿命ではなく、その先にある死であり、さらにその先にある永遠の滅びなのです。 この地上のものはすべて過ぎ去ってしまいます。私たちは今回の大震災でもそのことを思い知らされました。私たちは今こそ、目に見えるものではなく、目に見えないものに、揺り動かされるものではなく、決して揺り動かされないものに、目をとめて生きていきましょう。信仰と希望と愛に生きていきましょう。 （説教奉仕：高森恒喜）<img alt="" border="0" src="http://stats.wordpress.com/b.gif?host=nichinanchapel.wordpress.com&amp;blog=12616562&amp;post=967&amp;subd=nichinanchapel&amp;ref=&amp;feed=1" width="1" height="1" />]]></description>
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		<title>だから、こう祈りなさい</title>
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		<pubDate>Thu, 11 Aug 2011 00:50:08 +0000</pubDate>
		<dc:creator>tkoki777</dc:creator>
				<category><![CDATA[1.礼拝説教の要約]]></category>

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		<description><![CDATA[&#160; だから、こう祈りなさい。「天にいます私たちの父よ。御名があがめられますように。御国が来ますように。みこころが天で行われるように地でも行われますように・・・」（マタイ６：9－13） &#60;祈り&#62;とは何でしょう？私たちは何故祈らなければならないのでしょう？祈ることをとおして何を得ることができるのでしょう？ まず、確認したいことは&#60;祈り&#62;イコール(=)&#60;願い&#62;ではないということです。「神は、あなたがたのお願いする先に、あなたがたに必要なものを知っておられる」(ﾏﾀｲ6:8)と記されているとおり、すでに神様は私たちの願いを知っておられます。ですから、ある意味あえて&#60;願う&#62;必要はないとさえ言えるのです。 しかし、それでもなお神様は私たちに「絶えず、祈りなさい」と聖書をとおして語られますし、その祈りの中には&#60;願い&#62;も含まれるわけです。なぜ、神様がそのようなことを求められるかというと、それは&#60;祈り&#62;が創造主なる神様と人間との&#60;対話&#62;だからです。 私たちは愛する人とともに時間を過ごすこと、またそこでコミュニケーションを持つことを喜びとします。創造主なる神様も愛する人間とともに時間を過ごし、コミュニケーションを持つことを望まれるのです。それこそが祈りの本質であり、私たちの喜びの源泉なのです。 イエス様は早朝、まだ暗い内に起きて、祈られました(ﾏﾙｺ1:35)。また朝だけでなく日中もよく荒野に退き祈られたのです(ﾙｶ5:16)。ときには徹夜して祈られることもありました(ﾙｶ6:12)。&#60;祈り&#62;はイエス様の生活の最優先事項であり、中心であり、全てだったのです。私たちもイエス様のようになりたいと願うならば、イエス様のように祈らなければなりません。 &#60;祈り&#62;をとおして、私たちは神様との深い交わりのうちに一つとされます。そして、私たちをとおして神の力が現され、神のみこころが実現するです。そのためにも、私たちの祈りの妨げの原因となる罪を私たちの心の内から取り除いていくことも大切になります。私たちの告白していない罪、また人に対する苦々しい思いなどが、祈りが聞かれる妨げとなっている場合があります。私たちはそれらのものをことごとく心の内から除き去り、祈りの家で楽しむ者となりましょう。 &#160;&#160;&#160;&#160;&#160;&#160;&#160;&#160;&#160;&#160;&#160;&#160;&#160;&#160;&#160;&#160;&#160;&#160;&#160;&#160;&#160;&#160;&#160;&#160;&#160;&#160;&#160;&#160;&#160;&#160;&#160;&#160;&#160;&#160;&#160;&#160;&#160;&#160;&#160;&#160;&#160;&#160;&#160;&#160;&#160;&#160;&#160;&#160;&#160;&#160;&#160;&#160;&#160;&#160;&#160;&#160;&#160;&#160;&#160;&#160;&#160;&#160;&#160;&#160;&#160;&#160;&#160;&#160;&#160;&#160;&#160;&#160;&#160;&#160;&#160;&#160;&#160;&#160;&#160;&#160;&#160;&#160;&#160;&#160;&#160;&#160;&#160; （説教奉仕：高森恒喜）<img alt="" border="0" src="http://stats.wordpress.com/b.gif?host=nichinanchapel.wordpress.com&amp;blog=12616562&amp;post=966&amp;subd=nichinanchapel&amp;ref=&amp;feed=1" width="1" height="1" />]]></description>
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		<title>わたしの願うようにではなく</title>
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		<pubDate>Sat, 06 Aug 2011 05:39:54 +0000</pubDate>
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		<description><![CDATA[わが父よ。できますならば、この杯をわたしから過ぎ去らせてください。しかし、わたしの願うようにではなく、あなたのみこころのように、なさってください。（マタイ２６：３９） 自分の人生、自分の願うように生きたい。そう思うのがこの世の中では普通の感覚かもしれません。しかし、そのような思いで生きている限り、真の平安を得ることは決してできないでしょう。 なぜなら、真の平安は「私はキリストとともに十字架につけられました。もはや、私が生きているのではなく、キリストが私のうちに生きておられる」(ｶﾞﾗﾃﾔ2:20)と告白し、「地上の残された時を、もはや人間の欲望のためにではなく、神のみこころのために過ごす」(Ⅰﾍﾟﾃﾛ4:2)人に与えられるものだからです。そのような生き方こそ、イエス様に学ぶことであり、そこにこそ「そうすればたましいに安らぎが」(ﾏﾀｲ11:29)来るというイエス様の約束の成就があるのです。 では、どうすれば、私たちはイエス様のように、「わたしの願うようにではなく、あなたのみこころように、なさってください」という姿勢を身につけることができるのでしょう？ そのためには、私たち人間が神のしもべとして造られているという事実をしっかりと心に刻まなければなりません。 確かに私たちはイエス様の十字架によって、神の子とされ、また、神の友と呼ばれる存在となりました。しかし、その本質として神のしもべであることは永遠に変わらないのです。だからこそ、「神のみこころは何か、すなわち何が良いことで、神に受け入れられ、完全であるかをわきまえ知るために、心の一新によって自分を変え」(ﾛｰﾏ12:2)ることが大切になってくるのです。 「悔い改める」とは単に自分の過去の過ちを悔いることではありません。それは私たちの考え方を一新するということなのです。私たちが今まで持っていたこの世の提供する世界観、人生観、価値観を離れて、聖書が教える世界観、人生観、価値観を身につけることなのです。「主の教えを喜びとし、昼も夜もその教えを思い巡らす」(詩篇1:2)ことは、そのための基本的な霊的習慣です。日々、聖書の教えに親しみ、神のしもべとして自らを整え、平安と喜びの豊かな実を結びましょう。 &#160;&#160;&#160;&#160;&#160;&#160;&#160;&#160;&#160;&#160;&#160;&#160;&#160;&#160;&#160;&#160;&#160;&#160;&#160;&#160;&#160;&#160;&#160;&#160;&#160;&#160;&#160;&#160;&#160;&#160;&#160;&#160;&#160;&#160;&#160;&#160;&#160;&#160;&#160;&#160;&#160;&#160;&#160;&#160;&#160;&#160;&#160;&#160;&#160;&#160;&#160;&#160;&#160;&#160;&#160;&#160;&#160;&#160;&#160;&#160;&#160;&#160;&#160;&#160;&#160;&#160;&#160;&#160;&#160;&#160;&#160;&#160;&#160;&#160;&#160;&#160;&#160;&#160;&#160;&#160;&#160;&#160;&#160;&#160;&#160;&#160;&#160;&#160;&#160; （説教奉仕：高森恒喜）<img alt="" border="0" src="http://stats.wordpress.com/b.gif?host=nichinanchapel.wordpress.com&amp;blog=12616562&amp;post=965&amp;subd=nichinanchapel&amp;ref=&amp;feed=1" width="1" height="1" />]]></description>
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		<title>聖書の中心的教え</title>
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		<pubDate>Sun, 10 Jul 2011 08:52:41 +0000</pubDate>
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		<description><![CDATA[１．創造主なる神の存在 聖書は「初めに、神が天と地を創造した。」(創世記1:1)という言葉で始まります。世界は偶然に存在しているのではなく、意味と目的を持って存在させられているのです。これが理解されてはじめて、私たちの人生も意味と目的を持つのです。 ２．神の無限の愛と無限の力 創造主（神）は無限の愛と無限の力を有するお方です。創造主はその愛と力を持って私たちを導きたいと願っておられます。また神に導かれて生きることこそ人間本来のあり方なのです。 ３．十字架と復活 どうすれば、人間は創造主との関係を回復することができるのでしょう。イエスの十字架と復活を信じることによってです。その出来事をとおして示された神の無限の愛と、無限の力を信じることが神との関係を回復する唯一の方法なのです。 ４．聖書の教えの実践 御言葉の実践こそが「神の口からでるひとつひとつのことば」(ﾏﾀｲ4:4)を食することです。主食は「互いに愛し合いなさい」(ﾖﾊﾈ13:34)。その実践が霊的成長につながり、神との関係も築き上げられることになるのです。 ５．聖霊に満たされ続ける &#160; 神の無限の愛と無限の力に繋がり続けることと、聖霊に満たされ続けることは同じことです。聖書の学びと祈りの生活は御言葉を実践でも最も優先すべき事柄です。この霊的習慣が聖霊に満たされることにつながり、他の御言葉の実践の原動力となるのです。 ６．永遠への備え 地上で創造主との関係をどれだけ深めることができるか。それが、その人の永遠につながります。永遠の「救い」と永遠の「報い」の区別を理解しましょう。永遠の「救い」は信じるすべての人に与えられますが、永遠の「報い」は、ひとりひとりが神のことばにどう応答して生きたかによって異なるのです。 &#160;&#160;&#160;&#160;&#160;&#160;&#160;&#160;&#160;&#160;&#160;&#160;&#160;&#160;&#160;&#160;&#160;&#160;&#160;&#160;&#160;&#160;&#160;&#160;&#160;&#160;&#160;&#160;&#160;&#160;&#160;&#160;&#160;&#160;&#160;&#160;&#160;&#160;&#160; （説教奉仕：高森恒喜）<img alt="" border="0" src="http://stats.wordpress.com/b.gif?host=nichinanchapel.wordpress.com&amp;blog=12616562&amp;post=932&amp;subd=nichinanchapel&amp;ref=&amp;feed=1" width="1" height="1" />]]></description>
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		<title>キリストのからだとしての教会</title>
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		<pubDate>Tue, 05 Jul 2011 13:55:18 +0000</pubDate>
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		<description><![CDATA[教会はキリストのからだであり、いっさいのものをいっさいのものによって満たす方の満ちておられるところです。（エペソ1:23） 　イエス様を救い主として心に受け入れるということは、キリストのからだの一部となることです。具体的には教会の一員として、与えられた責任を果たしていくことですが、この真理を正しく理解することは、健全なクリスチャン生活を送る上で非常に重要なことです。 １．キリストがかしら 　「御子（イエス）はそのからだである教会のかしら」(ｺﾛｻｲ1:18) です。体は頭（脳）の命令に従って動きます。もし、体が脳の下す命令に従わないとしたら、それは健康な状態ではありません。教会も同じです。イエスの命令に従ってこそ、教会は教会として健全な歩みをすることができます。キリストのからだとして「自分の欲望のためにではなく、神のみこころのためにすごす」(Ⅰﾍﾟﾃﾛ4:2)ことを求め、目指していきましょう。 ２．それぞれの役割 　「あなたがたはキリストのからだであって、ひとりひとりは各器官なのです。」（Ⅰコリント12:27）体には手や足、目や口、心臓や胃などの様々な器官があり、それぞれがその役割を果たしています。教会もひとりひとりに神様から与えられていう賜物（能力）があり、使命（役割）があります。それぞれが、その分に従って互いに仕えあう時に、教会は神の栄光を反映することができるのです。 ３．いのちを宿し続ける 血はからだの隅々に流れ、栄養や酸素を運びます。キリストの教会にも霊的な栄養豊富な血が必要です。その血が教会の隅々にまで流れることが、教会が健康であるために重要なことなのです。そして、その霊的な血は私たちが日々食する神のことばと祈りから生まれることを心に覚えましょう。だからこそ、ひとりひとりが、祈りとみことばのうちにキリストとの交わりを保ち続けることが必要なのです。 （説教奉仕：高森恒喜）<img alt="" border="0" src="http://stats.wordpress.com/b.gif?host=nichinanchapel.wordpress.com&amp;blog=12616562&amp;post=929&amp;subd=nichinanchapel&amp;ref=&amp;feed=1" width="1" height="1" />]]></description>
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		<title>貧しきやもめの偉大な信仰</title>
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		<pubDate>Sat, 25 Jun 2011 21:49:21 +0000</pubDate>
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				<category><![CDATA[1.礼拝説教の要約]]></category>

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		<description><![CDATA[まことに、あなたがたに告げます。この貧しいやもめは、献金箱に投げ入れていたどの人よりもたくさん投げ入れました。みなはありあまる中から投げ入れたのに、この女は乏しい中から、あるだけを全部、生活費の全部を投げ入れたからです（マタイ１２：４３－４４） 　名もなき貧しきやもめの捧げ物をイエス様は心から称賛されました。貧困にあえぐ未亡人の女性の内には、聖書の偉大な信仰者たちにまさるとも劣らない信仰が宿っていたのです。それはどのような信仰だったのでしょうか？ １．望みえないときに、望みを抱く信仰 神を信じていても、状況は悪くなる一方。普通であったら、信仰を捨ててもおかしくありません。しかし、やもめは「不信仰になって神の約束を疑うようなことをせず、反対に、信仰がますます強くなって、神に栄光を帰し」(ﾛﾏ4:20)たのです。彼女の内にアブラハムの信仰が宿っていたのです。まさに彼女こそアブラハムの子孫だったのです。 ２．誓約の信仰 貧しいやもめは、今でいうならば、100円、200円ほどしか手元になくなってしまい、やけっぱちになってそれを捧げたわけではありません。それまでも忠実に捧げ続けていたのです。それにも関わらず、彼女の人生は苦労の連続でした。夫を失い、支えてくれる親族もなく、無一文になったのです。しかし、彼女はそれでも神を愛し続けました。それは「たとい、そうでなくとも」(ﾀﾞﾆｴﾙ3:18)と告白したシャデラク、メシャク、アベデ・ネゴの信仰と同じです。 ３．真の礼拝者としての信仰 彼女は何をしに、宮に来たのでしょう。それは神を礼拝するためにです。ダビデは「私はあらゆる時に主をほめたたえる」(詩篇34:1)とうたいましたが、この貧しいやもめも、人間的には最悪と思われる状況の中で、神に感謝と賛美を捧げるために、神の宮に来たのです。これこそ、真の礼拝者のあるべき姿であり、私たちが生きる目的です。「あなたこそ、私の主。私の幸いはあなたのほかにはありません」(詩篇16:2)<img alt="" border="0" src="http://stats.wordpress.com/b.gif?host=nichinanchapel.wordpress.com&amp;blog=12616562&amp;post=924&amp;subd=nichinanchapel&amp;ref=&amp;feed=1" width="1" height="1" />]]></description>
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		<title>告白する信仰</title>
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		<pubDate>Sat, 25 Jun 2011 14:09:31 +0000</pubDate>
		<dc:creator>tkoki777</dc:creator>
				<category><![CDATA[1.礼拝説教の要約]]></category>

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		<description><![CDATA[&#160;&#160;&#160;&#160;&#160;&#160;&#160;&#160;&#160;&#160;&#160;&#160;&#160;&#160;&#160;&#160;&#160;&#160;&#160;&#160;&#160;&#160;&#160;&#160;&#160;&#160;&#160;&#160;&#160;&#160; あなたの信仰があなたを直したのです。安心して帰りなさい。病気にかからず、すこやかでいなさい。（マルコ5:34） 私たちは礼拝に集まり、信仰の内にイエス様に出会い、霊の内にイエス様に触れます。 しかし、同じようにイエス様に触れていても、そこから全能の神の力をいただくことができるかどうかは、ひとりひとりの霊的な状態によります。 どうすれば、私たちは神の力をいただき、救いと解放を得ることができるのでしょう。長血の女が癒しを体験した記事からその秘訣を学んでいきましょう。 １．救われたい（癒されたい）との真剣な願い 長血の女は病から解放されたいと真剣に求めていました。そのことは彼女が色んな医者から様々な治療を受けて、全財産を使い果たすまでになっていたことから伺い知ることができます。 しかし、病状は悪化する一方。それでも彼女は癒されることを諦めませんでした。そして、一縷（いちる）の望みを抱いてイエス様の衣に触れたのです。 ２．信仰の告白 「きっと直ると考えていた」(ﾏﾙｺ5:28)という文節は、直訳では「きっと救われると言っていた」となります。すなわち、彼女はその口で信仰の告白をしていたのです。 イエス様の衣にさえ触れれば自分は必ず癒されると口で告白していたのです。私たちは自分が思う以上に、口の告白と、私たちの信仰が密接に結びついていることを覚えなければなりません。 ３．イエス様に近づく &#160; 救われたいとの真剣な願い、救い主イエスに対する信仰の告白、その上で、イエス様に近づいて、その衣に触れることが私たちの癒しと解放につながります。「感謝しつつ、主の門に、賛美しつつ、その大庭に、入れ。」(詩篇100:4)とあるように、賛美と感謝は私たちが霊的にイエス様に近づく手段なのです。 主の臨在される礼拝で心からの賛美と感謝を捧げることが、主にどれだけ近づくかに深く関わるのです。<img alt="" border="0" src="http://stats.wordpress.com/b.gif?host=nichinanchapel.wordpress.com&amp;blog=12616562&amp;post=907&amp;subd=nichinanchapel&amp;ref=&amp;feed=1" width="1" height="1" />]]></description>
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		<title>久しぶりのブログ更新</title>
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		<pubDate>Sat, 25 Jun 2011 13:05:48 +0000</pubDate>
		<dc:creator>tkoki777</dc:creator>
				<category><![CDATA[6.雑記]]></category>

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		<description><![CDATA[みなさんお元気ですか？ブログの更新は、すっかり妻に任せきりで、長いこと、ご無沙汰しておりました、高森恒喜です。 現在、平日は工場で働きながら、教会の奉仕に携わらせていただいています。というわけで、教会の奉仕は十分にできていないのが現状です・・・という言い訳です。フルタイムで奉仕ができれば、それが理想的なのですが、それができないのは私の実力不足。 性格的にも現在の奉仕に不向きなため、辞めてしまったほうがいいかな？と思うこともありましたが、チャペルに集う信徒の方が一人でもおられ、その方が私を必要としておられる限り、続けていくべきかと今では思っています。 本当は人が私を必要としているかどうかというよりも、神が必要としておられるかどうか、が一番の問題。 自身の中でその確信を深めることが一番の課題かと考えています。 ただ、工場で働きながらチャペルで奉仕させていただく毎日からも、色々と学ばせられ、また恵みをいただいていることも確かです。 一番の恵みは「寝つきが良くなった」ことでしょうか？（笑） 子どもの頃からつい1年ほど前まで、寝つきが悪かった私が、今は横になれば、あっという間に夢の世界へ旅立てます。 それに、工場で仕事を終えた後の食事が、今まで以上に美味い（笑） 至福の時です。 まあ、それは半分冗談としましても、長い間、宣教活動以外でのノンクリスチャンとの接点がほとんどなかったのが、今はそのほとんどの時間をノンクリスチャンとともに過ごしています。 そして、それが日本の多くのクリスチャンが置かれている現状です。 ただ、フルタイムで奉仕をしているとほとんどがクリスチャンの中で過ごすようになるので、普通のクリスチャンがどのような環境の中で信仰を守っているかが分からなくなってしまうことがあるのではないでしょうか？ 少なくとも私自身はそうだったような気がします。 そのため、たとえば説教の奉仕なども、一般のクリスチャンが置かれている現状から遊離してしまう、ということがあったのではないか？ そんな反省もあります。 そんなこんなで、色々と教えられている最中です。 ただ、神様は私の弱さも失敗も足りなさもご存じで、私を選んでくださり、そして、それらすべてひっくるめて、益と変えてくださる真実の神様に期待していきたいです。 皆様の上に神様の豊かな祝福がありますように。<img alt="" border="0" src="http://stats.wordpress.com/b.gif?host=nichinanchapel.wordpress.com&amp;blog=12616562&amp;post=892&amp;subd=nichinanchapel&amp;ref=&amp;feed=1" width="1" height="1" />]]></description>
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		<title>神への健全な恐れ</title>
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		<pubDate>Mon, 06 Jun 2011 04:53:45 +0000</pubDate>
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				<category><![CDATA[1.礼拝説教の要約]]></category>

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		<description><![CDATA[&#160;&#160;&#160;&#160;&#160;&#160;&#160;&#160;&#160;&#160;&#160;&#160;&#160; わたしの彼との契約は、いのちと平和であって、わたしは、それらを彼に与えた。それは恐れであったので、彼はわたしを恐れ、わたしの名の前におののいた。（マラキ２章５節） &#160; 「神を恐れよ。神の命令を守れ」(伝12:13)とあるとおり、神への恐れこそ、私たち人間が神の命令を守る根本的動機です。創造主なる神への健全な恐れがなければ、健全な信仰生活を送ることは難しいでしょう。神への健全な恐れを持つためにも、まず、創造主を恐れなければならない理由を確認しましょう。 私たちが創造主を恐れなければならない理由。それは創造主こそ「たましいもからだも、ともにゲヘナで滅ぼすことのできる方」(ﾏﾀｲ10:28)だからです。人間に永遠の命を与え、また、永遠の滅びに定める権威を持っている創造主こそ、恐れなければならない方です。 「主を恐れることは知識の初めである」(箴言1:7)とあるとおり、神への健全な恐れは、私たちの信仰生活の基本中の基本です。どんなに聖書の知識を持っていても、すぐれた奉仕者であったとしても、その人に神への恐れが欠如していれば、すぐに罪を犯してしまいます。「主を恐れることによって、人は悪を離れる」(箴言16:6)のです。 では、どうすれば私たちは神への健全な恐れを持つことができるのでしょう。それは私たちが神のことばである聖書の教えを真剣に学んで行く時です(箴言2:1-5)。「その時、あなたは主を恐れることを悟り、神の知識を見出」(箴言2:5)すのです。 「主の目は主を恐れる者に注がれ」(詩篇33:18)「選ぶべき道を教え」（詩篇24:12)「主の使いは主を恐れる者の回りに陣を張り、彼らを助けだされ」(詩篇34:7)ます。その他にも主への健全な恐れを抱いて歩む者に対する素晴らしい祝福の約束が聖書には溢れています。 聖書の教えに真剣に向き合っていきましょう。そして、学んだことを実践していきましょう。その小さな積み重ねが、私たちに神を恐れることを教え、大きな祝福へとつながるのです。 「来なさい。子たちよ。私に聞きなさい。主を恐れることを教えよう・・・あなたの舌に悪口を言わせず、くちびるにあざむきを語らせるな。」(詩篇34:11-13)<img alt="" border="0" src="http://stats.wordpress.com/b.gif?host=nichinanchapel.wordpress.com&amp;blog=12616562&amp;post=889&amp;subd=nichinanchapel&amp;ref=&amp;feed=1" width="1" height="1" />]]></description>
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		<title>解放への道</title>
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		<pubDate>Mon, 09 May 2011 07:55:30 +0000</pubDate>
		<dc:creator>tkoki777</dc:creator>
				<category><![CDATA[1.礼拝説教の要約]]></category>

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		<description><![CDATA[「心を主に向け、主にのみ仕えるなら主はあなたがたを・・・救い出されます」（Ⅰサムエル７：３） ペリシテ人の支配下に圧迫されていたイスラエル民族。彼らはその苦しみからの解放を神に切に願い求めていました。神は預言者サムエルをとおして導きを与え、イスラエルの民はそれに従うことによって、ペリシテの支配からの解放を体験したのです。 聖書は、この世界はサタンの支配下にあると教えています。クリスチャンも時に、その中で圧迫され苦しむことを経験します。そのような時、イスラエル民族がどのような導きの中で解放を得たかを学ぶことが、私たちが解放を得るためのヒントになるのではないでしょうか？ １．偶像を捨て去る このときイスラエルは、「主を慕い求める」(7：2）という霊的な状態になっていました。サムエルは、ペリシテ人に勝利する方法を提示します。目に見える物（偶像）に頼ろうとするのをやめて、唯一頼るべきお方として、主のみに仕える姿勢を鮮明にしました。 ２．心を合わせて祈る どんな場面でも、まず祈ることです。当たり前のことなのですが、とっさの時に祈ることができるかどうかは、普段の生活の中で、祈りが身についているかどうかにかかっています。主に心を向けているならば、命じられなくても自然に祈りへと導かれます。 ３．礼拝する 主に立ち返ったら全てが平穏無事ということはありません。サタンは私達が主に立ち返ろうとする時程激しく行動してきます。しかし､その叫びを聞いてくださる方は天地創造され全てを支配されておられる方であり、私達が叫んでいく時にこそ神を体験できるのです。そしてサムエルは子羊一頭を捧げ「責任をもってイスラエルを守って下さい」と神を礼拝しました（7：9）。 私たちはいつも主に心を向け、主に叫び、主との交わりの中で知恵と助けをいただいて、主の勝利を体験していきましょう。 （高森真理子伝道師）<img alt="" border="0" src="http://stats.wordpress.com/b.gif?host=nichinanchapel.wordpress.com&amp;blog=12616562&amp;post=884&amp;subd=nichinanchapel&amp;ref=&amp;feed=1" width="1" height="1" />]]></description>
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