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    日南チャペルでは新改訳聖書を使用しております。初めての方には備え付けの聖書をお貸し致します。

信仰の薄い者たち

きょうあっても、あすは炉に投げ込まれる野の草さえ、神はこれほどまでに装ってくださるのだから、ましてあなたがたに、よくしてくださらないわけがありましょうか。信仰の薄い人たち。(マタイ6:30)

なぜ心配するのか?なぜ怖がるのか?なぜ疑うのか?なぜ分からないのか?信仰の薄いものたちよ、とイエス様はたびたび弟子たちを叱咤されました(参照:マタイ6:30、8:26、14:31、16:8)。

信仰がないわけではない、でも不安になる、恐れてしまう、疑ってしまう、悩んでしまう。それはなぜでしょう?それは私たちの信仰が薄いからです。私たちの信仰が小さいからです。

では、一体どうすれば、私たちは大きな信仰を持つことができるのでしょう?

まず、第一に日々十字架を見上げることです。十字架は創造主なる神が自分にとって最も大事なひとり子を私たちのために捧げてくださった証拠です。

「私たちすべてのために、ご自分の御子イエスをさえ惜しまずに渡された方が、どうして御子イエスといっしょにすべてのものを私たちに恵んでくださらないことがありましょう。」(ローマ8:32)

大金持ちの子どもはお金の心配をしないでしょう。全世界、全宇宙、それらはすべて神のものであり、私たちはその神の子なのです。何を心配することがあるのでしょう?何を恐れる必要があるのでしょう。私たちはその日、その日自分のなすべきことをなせばいいのです。

第二に主を「あがめる」ことです。「あがめる」とはギリシャ語で「メガルノー」、拡大するという意味があります。神を礼拝することは、私たちの信仰の拡大につながるのです。賛美をすればするほど、感謝をすればするほど信仰が増し加えられ、そこに神の力が働くのです。逆に不平や不満を口にするごとに私たちの信仰は小さくなるのです。信仰に溢れないならば、賛美と感謝に溢れるものとなりましょう。

第三に、みことばに親しむことです。「信仰は聞くことから始まり、聞くことは、キリストについてのみことばによる」(ローマ10:17)からです。イエス様から目を離さない。イエス様をいつも思う。それは取りも直さず、みことばから目を離さないこと、みことばをいつも思うことです。そこに神の素晴らしい平安が訪れるのです。

(説教奉仕:高森恒喜)

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