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だから、こう祈りなさい

だから、こう祈りなさい。「天にいます私たちの父よ。御名があがめられますように。御国が来ますように。みこころが天で行われるように地でも行われますように・・・」(マタイ6:9-13)

<祈り>とは何でしょう?私たちは何故祈らなければならないのでしょう?祈ることをとおして何を得ることができるのでしょう?

まず、確認したいことは<祈り>イコール(=)<願い>ではないということです。「神は、あなたがたのお願いする先に、あなたがたに必要なものを知っておられる」(マタイ6:8)と記されているとおり、すでに神様は私たちの願いを知っておられます。ですから、ある意味あえて<願う>必要はないとさえ言えるのです。

しかし、それでもなお神様は私たちに「絶えず、祈りなさい」と聖書をとおして語られますし、その祈りの中には<願い>も含まれるわけです。なぜ、神様がそのようなことを求められるかというと、それは<祈り>が創造主なる神様と人間との<対話>だからです。

私たちは愛する人とともに時間を過ごすこと、またそこでコミュニケーションを持つことを喜びとします。創造主なる神様も愛する人間とともに時間を過ごし、コミュニケーションを持つことを望まれるのです。それこそが祈りの本質であり、私たちの喜びの源泉なのです。

イエス様は早朝、まだ暗い内に起きて、祈られました(マルコ1:35)。また朝だけでなく日中もよく荒野に退き祈られたのです(ルカ5:16)。ときには徹夜して祈られることもありました(ルカ6:12)。<祈り>はイエス様の生活の最優先事項であり、中心であり、全てだったのです。私たちもイエス様のようになりたいと願うならば、イエス様のように祈らなければなりません。

<祈り>をとおして、私たちは神様との深い交わりのうちに一つとされます。そして、私たちをとおして神の力が現され、神のみこころが実現するです。そのためにも、私たちの祈りの妨げの原因となる罪を私たちの心の内から取り除いていくことも大切になります。私たちの告白していない罪、また人に対する苦々しい思いなどが、祈りが聞かれる妨げとなっている場合があります。私たちはそれらのものをことごとく心の内から除き去り、祈りの家で楽しむ者となりましょう。

(説教奉仕:高森恒喜)

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