わが父よ。できますならば、この杯をわたしから過ぎ去らせてください。しかし、わたしの願うようにではなく、あなたのみこころのように、なさってください。(マタイ26:39)
自分の人生、自分の願うように生きたい。そう思うのがこの世の中では普通の感覚かもしれません。しかし、そのような思いで生きている限り、真の平安を得ることは決してできないでしょう。
なぜなら、真の平安は「私はキリストとともに十字架につけられました。もはや、私が生きているのではなく、キリストが私のうちに生きておられる」(ガラテヤ2:20)と告白し、「地上の残された時を、もはや人間の欲望のためにではなく、神のみこころのために過ごす」(Ⅰペテロ4:2)人に与えられるものだからです。そのような生き方こそ、イエス様に学ぶことであり、そこにこそ「そうすればたましいに安らぎが」(マタイ11:29)来るというイエス様の約束の成就があるのです。
では、どうすれば、私たちはイエス様のように、「わたしの願うようにではなく、あなたのみこころように、なさってください」という姿勢を身につけることができるのでしょう?
そのためには、私たち人間が神のしもべとして造られているという事実をしっかりと心に刻まなければなりません。
確かに私たちはイエス様の十字架によって、神の子とされ、また、神の友と呼ばれる存在となりました。しかし、その本質として神のしもべであることは永遠に変わらないのです。だからこそ、「神のみこころは何か、すなわち何が良いことで、神に受け入れられ、完全であるかをわきまえ知るために、心の一新によって自分を変え」(ローマ12:2)ることが大切になってくるのです。
「悔い改める」とは単に自分の過去の過ちを悔いることではありません。それは私たちの考え方を一新するということなのです。私たちが今まで持っていたこの世の提供する世界観、人生観、価値観を離れて、聖書が教える世界観、人生観、価値観を身につけることなのです。「主の教えを喜びとし、昼も夜もその教えを思い巡らす」(詩篇1:2)ことは、そのための基本的な霊的習慣です。日々、聖書の教えに親しみ、神のしもべとして自らを整え、平安と喜びの豊かな実を結びましょう。
(説教奉仕:高森恒喜)
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