まことに、あなたがたに告げます。この貧しいやもめは、献金箱に投げ入れていたどの人よりもたくさん投げ入れました。みなはありあまる中から投げ入れたのに、この女は乏しい中から、あるだけを全部、生活費の全部を投げ入れたからです(マタイ12:43-44)
名もなき貧しきやもめの捧げ物をイエス様は心から称賛されました。貧困にあえぐ未亡人の女性の内には、聖書の偉大な信仰者たちにまさるとも劣らない信仰が宿っていたのです。それはどのような信仰だったのでしょうか?
1.望みえないときに、望みを抱く信仰
神を信じていても、状況は悪くなる一方。普通であったら、信仰を捨ててもおかしくありません。しかし、やもめは「不信仰になって神の約束を疑うようなことをせず、反対に、信仰がますます強くなって、神に栄光を帰し」(ロマ4:20)たのです。彼女の内にアブラハムの信仰が宿っていたのです。まさに彼女こそアブラハムの子孫だったのです。
2.誓約の信仰
貧しいやもめは、今でいうならば、100円、200円ほどしか手元になくなってしまい、やけっぱちになってそれを捧げたわけではありません。それまでも忠実に捧げ続けていたのです。それにも関わらず、彼女の人生は苦労の連続でした。夫を失い、支えてくれる親族もなく、無一文になったのです。しかし、彼女はそれでも神を愛し続けました。それは「たとい、そうでなくとも」(ダニエル3:18)と告白したシャデラク、メシャク、アベデ・ネゴの信仰と同じです。
3.真の礼拝者としての信仰
彼女は何をしに、宮に来たのでしょう。それは神を礼拝するためにです。ダビデは「私はあらゆる時に主をほめたたえる」(詩篇34:1)とうたいましたが、この貧しいやもめも、人間的には最悪と思われる状況の中で、神に感謝と賛美を捧げるために、神の宮に来たのです。これこそ、真の礼拝者のあるべき姿であり、私たちが生きる目的です。「あなたこそ、私の主。私の幸いはあなたのほかにはありません」(詩篇16:2)
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